2010/02/27

雪山のナスはストックで体を支える*場当りデザイン*

雪の中から、スキーのストックがあちらこちらに顔を出しているのです。スキーヤーが雪崩に巻き込まれた?スキー客の忘れ物?
スキー場近くの農家では、古いストックを野菜の支柱として再利用している風景を良く見かけるのです。夏場にはちょっと違和感を覚えていたですが、雪景色にはとてもよく溶け込んでいるのです。微笑ましい風景です。

2010/02/25

恥ずかしげも無く手のひらを返す人々がいる

牧場のスノーボードパークは、今最高にいい状態である。25年前からは考えられぬほどの充実ぶり。ジャンプ台は大小10台程度、レールやボックス等のジブアイテムも多バリエーション、そしてハーフパイプも。深さ3-4Mとやや浅めのパイプながら、鈍った老体にはちょうど良い具合。雪質の悪くなるこの季節は、フリーランではあまり楽しめないので、パークの充実はとてもうれしいのです。
25年前にはどのゲレンデでも邪魔者扱いされ、迫害してされていたスノーボード。今ではそのスノーボードで飯を食べているゲレンデが多い。
國母騒動を見ると、日本スノーボード協会(JSBA)と日本スキー連盟(SAJ)とは、いまだ協調出来ていないようだ。(JSBAから借りてきた國母がSAJの権力を屁とも思わない横柄な態度をとったことが、SAJのお偉方には面白くなかった。という事については何故か報道されないが。)自分達の利権を守るために当初スノーボードという新しいスポーツを排除した日本スキー連盟だが、スノーボードのオリンピック種目化が決まると手のひらを返してスノーボードを取り込もうとした。国際スノーボード連盟(FIS)に属し、
それまでスノーボードの普及に尽力してきた、日本スノーボード協会は面白いはずがない。だが日本スキー連盟は有無を言わせず力尽くでオリンピック利権をとった。当初は、SAJ公認の大会には世界大会で活躍する真の実力者達(JSBA所属選手)はほとんど出なかったものだ。オリンピックという一過的な名誉や周囲の利権争いに振り回されず、自身の信念を貫いた選手が多くいた。その結果、二流選手がオリンピック日本代表となって恥をさらしたのもつい最近のこと。
オリンピックのように膨大な金の動くイベント(国家事業ですから)の影には、大小様々な利権の集積があることをちゃんと認識しておきたい。

2010/02/22

成長するコラージュ作品

ここのところ晴天が続き、林檎の芽も膨らみ始めてきました。そろそろ剪定をしてやらねばなりません。
木をどう形作っていくか、数年先のイメージを持って計画的に剪定してゆくのです。これがなかなか難しいのです。剪定が弱すぎると、実は多くなりますが、粒は小さくなり、翌年の実なりが悪くなったりします。剪定が強すぎると、実は少なくなり、木が弱ってしまったりします。明日は、ベテランの師匠について剪定の匙加減をみっちり叩き込んでもらうつもりです。
写真の木は、品種の違う枝を継いである(コラージュしてある)ので、この一本から3種類の林檎がとれる予定です。幹
には係わらず、枝の品種の林檎がちゃんとなるのですからおもしろいものです。

2010/02/17

マスコミ(世論)はどう転ぶのでしょう

今年は雪が多くゲレンデコンディションは最高である。にもかからわず、滑りに行く時間がなかなかとれない。体が鈍ってきてしまったのである。私のローカルゲレンデである牧場にも、今年は大きなハーフパイプが出来ているようだが、まだ行けていないのである。コンディションのいい2月中には何度か滑っておかなくてはいけません。
明日、いよいよオリンピックハーフパイプの試合が行われる。國母は相当叩かれたが、子供の頃から世界の第一線で活躍している本物の一流選手であるということを、少しは勘案してやってもいいと思うのである。たしかに服装のセンスが全く無いことは、残念であるが。
明日の結果に対して、マスコミがどうリアクションをするか、とても興味深いのである。一転、ヒーローに祀り上げるようなことにもなりかねない。ところで、青野の素朴顔にはとても魅かれるのである。素朴な青野が勝って(実績は國母に劣るが奇跡もありえる)、國母は悪者のままってのも、収まりは良い。が、絶対王者ショーンホワイトの存在が、両者の金という奇跡を阻んでいることが残念である。目指すは銀、面白いことになってほしい。

2010/02/15

雪深い山の水はとても美味しいのです

今年は雪が多いのです。いくら雪が降ろうと、流れている水は凍りません。もし凍るようなことがあれば、山の魚は全滅ですから。しかし流れが止まればたちまち凍ってしまうのです。水を引いているパイプに落ち葉が詰ってしまいました、さあ大変。氷のような水に手を入れて取り除いてやったのです。
今朝起きると、枕元に置いたコップの水がガチガチの氷になっていました。これは、ロックで一杯やるには好都合なのです。

2010/02/12

曲った背中も意外と伸びるものです

バンクーバーオリンピックに負けじと、雪上運動会へ参加したのです。この大会、参加者はみな経験豊富な熟練選手なので、油断はなりません。準備体操の段階から、真剣勝負であることがピリピリとした空気から伝わってくるのです。私は、パン食い競争に出場し、見事に一位でゴール。金メダルの代わりにクリームパン(添加物たっぷりの)を一つ獲得したのである。
是非、オリンピック日本代表選手にも頑張ってもらいたいのである。ハーフパイプでショーンホワイトがどこまで魅せるか、國母がどこまで成長したか、とても楽しみなのである。でも我が家にはテレビが無い。さて、どうしたものか。

*追記(2/13): 國母の服装の乱れが問題になっているというニュースを先程読んでガッカリしたのです。スノーボードというスポーツのイメージを落とす大変に残念な出来事である。お子ちゃまにだって、日本人代表としての自覚は持ってもらわなくてはなりません。さて、こうなっては本番で結果を出さなくては面子が立たないカズちゃん、この逆境をバネに形勢逆転してヒーローになれるのか。

2010/02/11

家族が力を合わせて働く昔ながらの小さなお菓子工場

Tunnock's のティーケーキには、茶渋の残ったマグカップ(高級ブランドのティーカップでは情緒が劣ります)でミルクティーを。
マグには、まず温めた牛乳を注いでから、濃く入れた紅茶(PG tipsのテーバッグが好ましい)をティーポットから勢い良く注ぐこと。ティースプーンは用いませんので、牛乳と紅茶の注ぐ順番を間違えてはいけません。必ず分量の多い紅茶が後です。この方が牛乳と紅茶が自然に混ざるのです。(「ミルクティー」のことを「ティーミルク」なんて呼ぶ業界人の方は、逆でもなんでもご勝手にどうぞ)
このTunnock's のティーケーキ、なんとも愛らしくてしみったれた英国の味(森永製菓のエンゼルパイは、このティーケーキを真似たものでしょう)がするのです。純粋な味だけでなく、情緒を十分に楽しみながら味わなくてはなりません。
そのキャッチコピーもまた良いのです。Still a family business(今でも変わらずに家族経営)。家族だけで営んでいる小さなお菓子工場をイメージして応援したいのです。ただ排他的なだけの同族企業だとしたらガッカリなので、深く調べてはいけません。

2010/02/07

個性と弱点

今朝起きると、愛車プリウスが一晩ですっかり雪に埋もれていたのです(側面の一部とワイパーが見えるだけ)。この週末は相当降っています。
プリウスに乗り換えて早3年以上経ちますが、雪道に弱いことだけが唯一の弱点なのです。車高が低すぎるし、タイヤハウスも狭すぎる。何よりも困るのが、上り坂。とにかく登らない。どうやら少しでもスリップするとトルクが自動制御されてしまうことが原因のようです。アクセルをいくら踏んでも登らない(決してタイヤが空転しているわけではないのに)。坂の途中で止まってしまっては大変なので、とにかく祈ります。「止まるな、登れ、登れ!」。大概は、祈りが通じてなんとか登りきれるのです。
燃費性能に特化する為に、犠牲になっている点があることは確かなのです。それも個性。どこまで譲れるかは人それぞれ。

2010/01/31

冷凍庫のある今では冬の保存食にも不自由しない

大地が雪で覆われている間は、畑仕事はお休みなのです。一昔前までは、出稼ぎに出たり、藁細工に精を出したりしていたようですが、今では特にやる事も無く、皆炬燵で昼寝等をしてのんびりと過ごしているのです。
雪の無い7か月間しっかり働き、雪のある5ヵ月間はたっぷりと休息をとる。質素ながら、なかなか羨ましい生活なのです。

2010/01/26

進化してゆく過程に興味があるのです

ヤマサの真空パックの醤油が気になったので買ってみて使っている。
これがなかなか良く出来ているのである。注ぎ口付近が肝。微細メッシュ状に圧着されたシール部を通り、薄いフィルム状の注ぎ口に達する。液体の張力を利用して空気の侵入が巧妙に防がれているのである。しかも液垂れを防ぐ嘴付き。
一ヶ月程使用したが、確かに醤油の味が劣化しない。この点はとにかく素晴らしい。ただし、容器が柔らかいので、量や勢いをコントロールすることが難しく、つい醤油を注ぎすぎたり、飛び散らしたりしてしまうのである。
まだまだ改善の余地はあるものの、革新的な液体容器である。決して、食卓を引き立てるような素敵な外観ではないので、主婦に支持されるかどうかは疑問だ。どうか売れ行きに係わらず、作り続けて欲しい。見かけに囚われず、一つの問題を見事に解決したデザインであるのだから。

2010/01/23

大人の男の遊び

ヨーロッパの公園で、爺さん達が大きな鉄球を転がして遊んでいる風景を見かけたことはないだろうか?その風景は、なんとも穏やかで、時を刻む速度が遅くなったような錯覚を与えてくれる。
近頃、この鉄球遊び(ペタンクというフランス生まれの球戯)が私の周囲で流行り始めている。ビー玉のようでありカーリングのようでもあるこの遊びは、暖かな昼下がりをのんびりと楽しむのに最高なのである。たらたらと歩いている、しょぼくれ具合が情緒深いのです。
日本では、ゲートボールなるスポーツが流行っているようですが、声を出したり、手を上げたり、小走りしたりと、あれは忙しくていけません。

2010/01/18

旨くて安全なパンを焼こう

日本の食パンってのは概して不味い。不味い食パンにマーガリン、ってのが日本の朝食風景として馴染んでしまった現状はとても残念である。
もちろん労を惜しまねば旨い食パンにもありつける。浅草にあるペリカンというパン屋の食パンは気に入っている。小洒落た舶来チェーン店でないところがいい。素朴な小麦の味に、腰の強い生地、が職人感たっぷりなのである。うどんや蕎麦に通じる美学を感じる。朝早起きして、初老の職人が気合十分で生地を捏ねている姿を頭に描いて食べると旨さも一際。(実際のところは未確認のまま)
ところで、日本で普及しているパン焼き窯の多くに、つい先頃までアスベストが使用されていたという話を聞いた。未だに多くのパン屋では、このアスベスト付きの窯が使われているのだそうだ。こわっ。

2010/01/15

子供のおやつではありません

カトレアという店のカレーパンを時々食べるのである。カレーパンの元祖と言われるだけあって、昭和初期の趣が残っていてなんとも味わい深い。
楕円形の形状、薄くてサクサクの皮、たっぷりと詰まったカレー。当時は、カツレツやクリームコロッケのような存在であったことが想像できる。クリームコロッケのクリームをカレーに置き換え、メンチカツ大の形状をキープする為に薄いパン生地で包んでから揚げた。きっとハイカラなメイン料理であったに違いない。
家に持ち帰ったカレーパンは、まずレンジで温めてから、オーブンで少し焼いて衣をサクサクに仕上げる。皿にのせて、ナイフとフォークで切り分け、ライス(バターライスなら尚良し)と共に食す。お好みでウスターソースと胡椒を少々。シャツを汚してはなりませんので、首元からはナプキンを下げて。飲み物はミルクティーを。

2010/01/13

中国の鰻より近所のどじょうを

今の子供達は、どじょうを捕まえて遊んだりするのだろうか?それ以前に、どじょうは、まだこの日本にちゃんと生息しているのだろうか?
幼いころ、泥まみれになって捕まえた、どじょうを用いて祖母が作ってくれた料理の衝撃が未だに忘れられない。鍋に水と豆腐、そして生きたどじょうを入れて火に掛ける。水が熱くなってくると、それまで呑気に泳いでいたどじょう達が慌てだし、熱さに耐えきれなくなって、まだ冷たい豆腐の中へ次々と潜り込むのです。全てのどじょうの姿が見えなくなったら、更にしばらく加熱し、味を調えます。四角い豆腐を取り出して包丁で切り分けると、綺麗にどじょうが埋め込まれたパテ(テリーヌ)のような料理が完成です。あの残忍な風景と、完成したどじょう豆腐の美しき姿、決して忘れられません。
先日、伊せき という店でどじょう料理を食した。泥臭いどじょうを強い味付けとたっぷりのネギで食べるどじょうの丸鍋。江戸情緒はたっぷりですが、決して旨い料理ではない。所詮、庶民が楽しむ為の鰻の代替品、もしくは身近な栄養源
だったのでしょう。
元来の庶民料理も、今では気取った店でしか食べることが出来なくなってしまったことは、とても残念なことです。皆さん、この夏は、どじょうを捕まえて家庭で調理しましょう!伝統料理を絶やしてはいけません。

2010/01/10

2466532の柱

靖国神社へ初詣(生まれて初めて訪れた)。
歴史認識はともかくとし、日本人として観るべき資料、知るべき情報が、生々しく保存されている。遊就館という展示施設を見学していたら、あっという間に日が暮れてしまっていた。
戦後生まれの私には想像もつかない程大きな意味を持つ聖域。
正月に見舞った半身不随の祖母は、歪んだ口で千人針の話をしてくれた。

2010/01/09

ブスカワイイ仏像

6日から7日にかけて、少林山の達磨市へ出かけた。七草の日に夜通し行われるの賑やかな門前市。あの張り子の達磨人形発祥の寺である。
愛嬌のある丸いフォルム。厳つい髭面。手足は無い。達磨人形は単なる験担ぎグッズを超越した、民芸品の趣がある。派手さを競う、熊手や羽子板等とは別次元にあるプロダクト。目の入っていない人形に片目を入れ、願を掛ける。願いの適った暁にもう一方の目を入れる。
自分の手で開眼させるというプロセスが興味深い。また、飢饉の際に、農家の副業として生活を支えたという、シンプルな木型を利用した簡単につくれる張り子人形である、という出生も良い。

2009/12/26

スキー場にBGMは要らない

待ちに待った雪です。真っ白な大地、澄んだ空気、小鳥のさえずり、がとても心地よいのです。
リフト降り場からは迅速に離れましょう、雑音(ガンガン鳴り響いている歌謡曲)が折角の自然環境音を台無しにしていますから。
でも、恥ずかしながらユーミンだけは許せてしまうのです。

2009/12/22

皆が自発的に枝打してくれる仕組み

注連縄(しめなわ)が完成したら、今度はお婆さんと一緒に松の枝を獲りに行きましょう。
12月の大安の日には、どの家も松を獲りに行きます。我々はちょいと出遅れてしまったので、枝ぶりの良い松はなかなか見つかりません。下方の枝から獲られてゆくので、背の届く範囲にはもうあまり枝が残っていません。それでも妥協せずに、枝が真っすぐ伸び、葉の豊富に茂った三階松を探します。だいぶ歩いて、納得のいく三階松を収穫。注連縄と会わせ、半紙、蜜柑、昆布、で飾って完成です。

2009/12/21

注連縄を作りながら一年を思う

そろそろ、正月飾りを用意しなくてはなりません。
縁起ものですから、必ず自らの手で作りたいものです。何処で誰が作ったか分からない飾りを買ってきたのでは、ご利益も疑わしいのです。
しかし、近年では材料となる藁の入手が困難になってきました。藁細工の需要がなくなったために、収穫の際にコンバインでそのまま刻んで田に鋤き込んでしまうのです。ですから、材料となる藁は収穫前に農家の方にお願いして、分けてもらいましょう。
注連縄(しめなわ)の作り方は、お爺さんに習いましょう。手のひらを使って、藁に撚りを掛けながら、縄状に仕上げてゆきます。注連縄は家によって様々な形や拘りがありますので、出来れば自分の家の伝統を継承しましょう。もし、伝統が途切れてしまっているようでしたら、自分流に新たな注連縄を創作してみても良いでしょう。ちょっとぐらい不格好だって構いません、自分の手でつくることが大切です。
ほんの一昔前まで、靴、帽子、コート、バスケット、ベビーベッド、、、様々なプロダクトが藁で作られていたことを思うと、文明の進化速度を実感します。

2009/12/14

屠殺・解体に目を背ける者に肉を食す資格は無い

近年、鹿を中心とした獣による農作物被害が深刻な状況となっている。人が大切に育てた食物を獣に横取りされてしまっては、死活問題なのである。過剰繁殖の陰には、天敵の減少による食物連鎖バランスの崩壊や、地球温暖化による動植物生息域の変化、等の理由があるのだろう。
動物を殺めることは、とても心が痛むことである。だが大切な農作物を奪われては自分が生きていけない。したがって、適正な有害鳥獣駆除は避けられないのである。適正な食物連鎖の再生。人間は食物連鎖の頂点に立つ責任を適正に全うしなくてはならない。
しかしながら、「適正」という判断は慎重に下したい。まず、本当に有害な鳥獣であること。次に、駆除した後の鳥獣は、責任を持って解体し、食し、最大限有効に活用すること。決してスポーツ感覚で楽しまないこと。決して商売を目的としないこと。
私は、10年以上肉を口にして来なかったが、近隣の獣達とは積極的に係わり、やむを得ず駆除された獣は食してゆきたいと思う。
*写真は裏山で見つけた、まだ柔らかい熊の糞。

2009/12/10

年の瀬の風景

表参道の街路樹イルミネーションが、11年ぶりに復活したらしい。面出薫氏が行ったあの巨大行燈はなんだったのでしょう?いくら能書をたれたって、木に電灯を飾りつけただけの伝統的イルミネーションの美しさには太刀打ちできなかった、作り手の自己満足。環境的視点で見たって、イベント期間が終わればただのゴミと化す大量の巨大行燈を作るより、元々そこにある木を利用したほうが遥かに優れている。
ところで、木へのダメージ、ゴミ問題等を理由に中止された街路樹イルミネーションが何故突然復活したのか?根本的には、何の問題解決もないままの復活はどうにも解せない。町内会の頑固オヤジが失脚したのか?森ビルが裏工作を施したのか?
HISは幾らのスポンサー料を払ったのか?
きっと、イルミネーションに釣られたカップル達で表参道は賑わうことでしょう。冬でも、灯には虫が集まるのですから

2009/12/06

国立ダイエット図書館

国立国会図書館の民主党本部側には、とても小さなく怪しげな入り口がある。僅か高さ1メートル強のこの入り口はいったい何処へ続くのだろう?国会?首相官邸?核シェルター?
永田町には、埋蔵金だけでなく、まだまだ色々な物事が埋められているのだろう。

2009/11/30

重いものは持ち上げずに転がせばいいんです

親友 アレックス リッチ から展覧会のインヴィテーションが届いた。今回は コンスタンチン グルチッチ がキュレーターを務める展覧会の会場やグラフィックのデザインを ヨルグ レニ(ヘクター) と共に手掛けたようだ。http://www.design-real.com/
ウェブをざっと流し見したところ、いわゆるグッドデザインキュレーション(正直、それほど面白みのないセレクション)なので、見せ方が肝だろう。一点だけ興味深いプロダクトがあった。水タンク。人々が頭の上に水瓶をのせて歩いているアフリカの風景は、近く失われることになるのだろう。社会問題の解決を目的とした正しきプロダクト。目新しい携帯や家電をデザインしてもてはやされている日本の人気デザイナー達とは大違い。残念ながら、近年デザイナーという肩書がどうも胡散臭く感じるようになってしまった。http://www.youtube.com/watch?v=HPCTscerVvI&feature=player_embedded

2009/11/27

牡蠣と柿は同じ季節に旨いので紛らわしいのです

牡蠣の季節ですね。
この時期には、銀座にある三州屋という定食屋の牡蠣フライを食べるのです。この店はなかなか良いのです。ランチ時の混雑は避けなくてはなりません。素朴な家庭料理を肴に一杯。おばちゃん達の素っ気無くかつ温かい接客がまたいいのです。あの客あしらいは、おそらく元ホステスなのではないかと睨んでいます。

2009/11/23

色を配さない空間はカラーで撮影してもモノクロ写真のようです

今年の秋は、100% DESIGN TOKYO 内の BLICKFANG ブースのデザインを担当しました。世界的な悪景気の影響で、来日出展クリエーターの数が激減し、規模も予算も大幅に縮小。
どの業界でも同じだと思うが、低予算の仕事というのは、非常に難しい。予算が少ない分、選択肢が狭まる。それを補う為に、様々な工夫や労力が必要とされる。反面、予算の豊富な仕事は楽だ。余計な心配なくベストな選択肢を取ればいい。
今年のブリックファングのブースは、全体を黒く覆って、クリエーターの等身大写真を壁面に配置しただけ。クリエーター自らがその場に立ち、作品のプレゼンテーションを行っている事。アマチュアによるフリーマーケットではなく、プロフェッショナルによるプレゼンテーションである事。この2点を静かに表現した空間。

2009/11/20

大きな鼠さんは、クリスマスキャロルという西洋物語を餌に子供達を狙っているようです

年の瀬の物語といえば、日本では「忠臣蔵」がお決まりです。ってことで、歌舞伎座へ「仮名手本忠臣蔵」を観に行ってきました。
実際の討ち入りのあったのは1701年、その2年後の1703年には既に物語として上演されたというのだから、この事件への注目度が当時より高かったことがうかがえる。その後、今日に至るまで300年以上に渡って、人気が衰えないのだから凄い。映画、小説、テレビドラマ、数え切れぬ程膨大な数の作品が繰り返し作られ、飽きられることなく人気を博してきた。この忠義美談は、日本人の国民性形成に大きく寄与してきたに違いない。

この「仮名手本忠臣蔵」、その名の通り登場人物はすべて仮名で演じられている。江戸幕府がこの実話の上演を禁じた為に、仮名を充てたのだという。当時の歌舞伎が、今日のように保守的な伝統芸能でなく、反体制的な姿勢を有した庶民の文化であった事がうかがえる。

2009/11/15

水族館って結構臭いんですね

天皇陛下御在位20年記念ということで葛西臨海水族園がこっそりと無料開放していたので訪れてみた。(どの動物園や美術館も、何故もっと盛大に告知して祝わないのか?)
谷口吉生という建築家による大仰な近代建築物の中に入ると、展示物は期待に反してしょぼい。水槽の水はどれも濁っているし、換気設備の故障なのか館内は何故かレストランの食べ物の臭いと餌糞の臭いとが入り混じって充満している
。大した工夫も、驚くような希少生物も、無い。唯一印象に残るのは旨そうなマグロが泳いでいたことぐらい。
ご立派な建物に、貧相なコンテンツ。あれじゃまるで、中身の空っぽな二枚目なのである。

2009/11/13

西郷隆盛は知らん顔でお散歩中

上野の森美術館へ「聖地チベット展」を観に出かけた。
中国による侵略によって大部分は、焼かれ、破壊され、盗まれた、という貴重なチベットの文化遺産が、この日本で観られるというのだから逃す手はない。展示されている仏像や仏画は、豊かな色と表情に溢れていて、とても人間らしい。俗っぽささえ感じるのだ。これは、チベット仏教が庶民に根付いている証だろう。お経を覚えていなくたって大丈夫。マニ車なる便利な道具を回せばお経を唱える代わりになるという。これなら子供だってグルグル回せる。中国を経由して日本へ伝わったお偉い仏教文化とは、大きな違いだ。
ところで、一部の人権活動家はこの展覧会に対し強い批難声明を発している。実はこの展覧会、中国が主催しているのだ。チベットを略奪した中国がである。この事実を知ると、確かに複雑な気持ちになる。しかし、これを機にチベット文化に触れ、その悲劇的な歴史を知る(会場では中国による侵略については一切触れられていないのだが)人々が多くいることは、決して悪いことではないと思うのである。

2009/11/09

埃の中から発掘された最先端デザイン

チェコのデザイナー、マキシム ヴェルチョフスキー と久しぶりの再会。
オーストリアの高級シャンデリアメーカー、ロブマイヤーの為に制作した近作はとても興味深い。クリスタルガラスを透過する光で都市の風景を浮かび上がらせるというもの。ロブマイヤーの倉庫を訪れ、雑然と積み上げられたガラスパーツの中から適した形状のパーツを一つ一つ選び出していったという。一つの風景を作り出すのに一週間、全四都市で約一か月を要したというのだから、根気のいる作業だ。完成した作品は実にお見事。ロンドン、ニューヨーク、モスクワ、メディナ、が幻影のように儚い姿を現していた。先日の100% DESIGN TOKYO 会場の片隅で、ロンドンの風景が密やかに展示されていた事に注意深い人は気づいただろう。つまらぬ商業デザインが溢れる中で、一際輝いていた。
倉庫で埃を被ったガラクタのようなパーツ達を、緻密に組み合わせ、巧妙に配置する。それだけで、全く新しい美と価値を創造する。不用意に新たな物を作り出すこと無しに。
チェコの民主化革命、ベルリンの壁崩壊、から20年(まだたった20年)、マキシムを筆頭とした新世代東欧デザイナーの活躍に注目期待したい。
http://designeast.eu/2008/11/09/maxim-velcovsky-studio-qubus-for-lobmeyr/

2009/11/07

殺され肉をえぐり取られた動物達

ガラスケースに収められた狐の死体、狸の死体、てんの死体、いたちの死体、死体、死体、、、。剥製にして飾られる為だけに捕えられ、殺され、肉をえぐり取られた動物達。
寿命を全うして死んだ動物を懐かしむ為につくられる剥製ならまだましだ。今年初めにはかつて上野動物園を賑わせた歴代パンダの死体(剥製)展なんて物凄い企画展もあったし、近年ではペットの猫や犬を剥製にする心優しい飼い主も多いようだ。レーニンや毛沢東も剥製になって国民を喜ばせている。