ラベル チベット の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル チベット の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2009/11/13

西郷隆盛は知らん顔でお散歩中

上野の森美術館へ「聖地チベット展」を観に出かけた。
中国による侵略によって大部分は、焼かれ、破壊され、盗まれた、という貴重なチベットの文化遺産が、この日本で観られるというのだから逃す手はない。展示されている仏像や仏画は、豊かな色と表情に溢れていて、とても人間らしい。俗っぽささえ感じるのだ。これは、チベット仏教が庶民に根付いている証だろう。お経を覚えていなくたって大丈夫。マニ車なる便利な道具を回せばお経を唱える代わりになるという。これなら子供だってグルグル回せる。中国を経由して日本へ伝わったお偉い仏教文化とは、大きな違いだ。
ところで、一部の人権活動家はこの展覧会に対し強い批難声明を発している。実はこの展覧会、中国が主催しているのだ。チベットを略奪した中国がである。この事実を知ると、確かに複雑な気持ちになる。しかし、これを機にチベット文化に触れ、その悲劇的な歴史を知る(会場では中国による侵略については一切触れられていないのだが)人々が多くいることは、決して悪いことではないと思うのである。

2009/11/02

仏は宙に浮いてなどいない、この地にしっかりと足をつけている

ダライラマ14世の講演を訪れた。
あの生き仏、ダライラマである。中国によるチベット侵略、大虐殺を生き延び、インドへと亡命したダライラマなのである。とても現実とは思い難い壮絶な運命を生きた本人が、我々と同じこの時代に生きていて、この東京で講演を行っているのである。この現実だけで十分に感慨深い。
客入りは予想に反して少なく、国技館客席の3分の1も埋まっていない。中途半端なアイドルにも及ばない集客力に愕然とさせられた。あのダライラマがこれ程人気が低いとは。
今回の講演は、他の出演者4人とのトーク形式のものであった為に、ダライラマの法談を満喫するには至らぬ消化不良の内容であった。しかし、ダライラマの人となり(天上の仏でなく)をこの目で垣間見れたことだけで、十分に有意義に思える。ダライラマの言葉は極めて科学的であり、人間的であり、現代的であり、現実的であり、理論的であり、常識的であった。決して宗教論を持ち出して煙に巻くことは無かった。
何よりもあの独特の笑いが忘れられない。生き仏の口から頻繁に飛び出す、皮肉交じりの冗談。講演の最後は共演者へのプレゼント授与で締めくくられたのだが(本来こんなことは控室で行ってほしいものだが)、そこで述べられた言葉はダライラマの現実感覚を象徴している。「白いスカーフをプレゼントします。感謝の意を込めてスカーフを贈るというのはインドの古い習慣です。しかしながらこのスカーフは中国で中国人(漢人)によってつくられたものです。イッヒヒヒヒ。そしてそこには中国人には読めない大切な言葉がチベット語で書かれているのです。イッヒヒヒヒヒヒヒ。」
ダライラマから政治的な発言は一言も無かった(許されていないのだろう)。オバマ大統領も鳩山首相も国家元首になった途端、ダライラマとの会談を控えた。両者とも経済大国中国を前にして、良心を押し殺した(オバマはノーベル平和賞を受賞する資格が無い事を自身で十分に認識しているだろう)。来日報道も僅かだけである。しかし、チベットでは今でも深刻な人権侵害が行われている。

http://www.youtube.com/watch?v=P5sWncFiYnA