2010/12/18

日本の床とスペインの床

日本の伝統を尊重するばかりが良いとも限りません。現代の生活には、世界中の様々な文化(西欧、東欧、中近東、アジア、米、、、)が混在しています。それぞれのいいとこを積極的に取り入れたライフスタイルが一番自然だと思うのです。ただし、そのミックス加減には大いなる拘りと細心の注意が必要です。(概して日本人の家は、物欲に任せて買い集められた物に溢れた、醜い雑多な空間になっています。)
さて、浮造りの木床(国産杉)では問題の生じる場所は、くり抜いて別の素材(スペイン産テラコッタ)を敷いたのです。
まず、仕上りが平らになるよう下地の高さを調整します。テラコッタに強力接着剤を塗って均等に貼り付けます。目地材を練り上げて、目地を入れます。周囲にはみ出した余分な目地を水を含ませたスポンジで洗い取ります。
火に強く、汚れを洗い落とせる床の完成です。後日、この床の上に薪ストーブを設置します。横には薪を数束積み上げておきます。
これで、薪をくべる際に灰がこぼれても安心、ストーブ上の鍋が噴きこぼれても安心なのです。

2010/12/14

現代音楽は何年でクラッシックになるのか?

今日はピエール・ロラン・エマールのコンサートへ。現代音楽の鍵盤弾きといえばこの人なのです。
プログラムには、バルトーク、リスト、メシアン、リスト、リスト、ラヴェルと並ぶ。どの曲も刺激的な演奏。中でもメシアンの「鳥のカタログ」は圧巻、さすが10代でメシアンコンクール優勝を果たしたメシアン弾きである。高く上げた椅子に浅く腰かけ、背筋を伸ばして、膝を閉じ、紳士然とした姿勢。しかし、手はまるで別の生き物。まさに鳥のように自由に、歩きまわり、走り、羽ばたき、飛び、さえずり、がなる。
最後にラヴェルの「鏡(全五曲)」の演奏でプログラムは終わったが、拍手は止まない。何度か出入りした後、クルターグ。嬉しい選曲。演奏が終わって、拍手に応えてまた何度かの出入りを繰り返した後、今度はバートウィスル。知らない曲ながら素晴らしい。2曲が終わって感謝の拍手。またまた出入りを繰り返した後、楽譜を持って再々々登場して、ブーレーズ。最高!一層の感謝の意を込めて拍手。さらに出入りを繰り返した後、まさかのベンジャミン。凄い!これでアンコール4曲。さすがに終わりか?もしかしてもう一回?と思いながら拍手。出入りを繰り返した後、なんとまた楽譜を持って登場。奇跡のメシアン。拍手拍手で手が痛くなる。また形式的な出入り。いい加減客席照明もつくだろうと思いきや、信じられないことに6曲目はカーター。さらに拍手&出入り。もう一曲来い!との願ったら叶って、7曲目にシェーンベルグ。大満足の大喝采。最後に大きなお辞儀をして、ついに照明が明るくなったのです。ブラボー!メルシー!
最高のコンサートであったのですが、客入りは7割程度。かなりの空席が目立ったのです。現代音楽を愛する人は予想以上に少ないようです。逆に言えば、大多数に支持される音楽は、その時点でもう既に現代音楽ではなく、ポップスまたはクラッシックなのでしょう。

2010/12/06

利休のコンセント*偶然のデザイン*

樹脂製のコンセントフレームを近頃見かけますが、実際に使ってみるとこれは便利。金属フレームのように爪を抉曲げる必要は無く、押し込むだけでコンセントやスイッチをカチッと固定出来るのです。これなら、あの爪の歪みが気にならない。電気の絶縁性もバッチリ。コンセントカバーをつけなくても何の問題もありません。(カバーの醸し出す安い生活感が嫌いなので、カバーは取り付けない主義なのです。そもそも、隠して誤魔化すという発想が嫌いなのです。)
フレームに取り付けるコンセントですが、「利休色」という和室用に作られていると思われる鶯色のものが幾つか手違いで届いたのです。利休色という奇妙な名(考えてみると鶯色というのも奇妙な色名ですが)のこのコンセントですが、取り付けてみると悪くない。グレーのフレームを剥き出しのままにすると、その工業的なイメージと相まって、アーミー調の雰囲気です。気に入ったのです。
コンセントは白と利休色の混在、アンテナ端子と片切りスイッチは白、両切りスイッチはグレー(これも手違い)。手違いによって複数の色が混在してしまいましたが、これは用途毎の使い分けに最適なのです。意匠的にもなかなか面白い。コンセントの色を意図的に使い分けるだけで、実用的な遊び(デザイン)が出来るのです。

2010/12/03

ヨンシーはビヨークになれるか?

氷島の歌姫(?)ヨンシーのライブに行って来たのです。新木場スタジオコーストは好きじゃない(あそこは客を入れすぎるのです)ので、恵比寿ガーデンホールへ。ヨンシーには、凛と張り詰めた寒空が良く似合う。雪で白銀なら尚良いだろう。ところが、今日は12月だというのに夏のように暑い。ヨンシー日和とは言えない。
ニコ・ミュリーが一緒であることをちょこっと期待していたのだが、残念ながらステージにニコの姿はない。ニコ無しの演奏は、並みのロックバンド。ヨンシーの透明な声にあわせて頭をゆっくりと回す、時々目を瞑ってみる
、歯切れの良いリズムで跳ねる。それだけでも十分に楽しい。しかしながら次の機会には是非、小さなオーケストラをバックに従えた演奏を、しっかりと音響設計をされたホールで、座って、聞きたい。
シュガーキューブスから独立したビヨークがメジャーブレークしたように、シガーロスからソロに転じたヨンシーもこれから、もっともっと大きくなるのだろう。ポップさは十分。あとは、マスコミ受けするスキャンダルが必要か?