2010/04/27

大切にしよう、感謝しよう、恩返しをしよう

デザイニングというローカルデザインイベントの一環で行われた公開トークへの出演の為に、久々に福岡を訪れたのである。このトークの中で主にハプニング(1990年代にエアコンディションというユニットが東京を舞台に行った伝説的なデザインイベント)について語り合った。あれは日本のデザインシーンに一石を投じたイベントであったことを再認識。
旅のついでにバイトリコ福岡でワークショップを行ってきたのである。「Make it up!(ありがとう)」 と題したこのワークショップは、壊れてしまった愛用品へ、そして負担を与えた環境へ、感謝の気持ちを態度で示そうという内容のもの。「カーボンオフセット」という考え方に「気持ち」を添えた、小さな環境改善活動なのである。参加者の方々の笑顔、真剣な眼差し。これは継続すべき活動であることを感じたのである。このワークショップ(小さな活動)についての全容は、近日ウェブ上で公開したいと思っています。現在、東京開催を計画中なのです。

2010/04/15

ピンクのバナナ

今年の花見シーズンにも多く見かけたが、あのテキヤというスタイルの路上食品販売業ってのはどうにも腑に落ちないのである。
チンピラ風ファッションで決めた若者達が、どう見ても不衛生に食品を扱っているように見えるのである。バケツに汲んだ水は食材の洗浄と手洗い器を兼ね、汚れたエプロンがタオル代わり、食材は豪快に手掴み、ってのが基本調理マナーである。時には、食品を扱う手でタバコを吸い、バケツの水をちょいと食品に加えたりする。何故、食品衛生法に引っかからないのだろう?
またどういう理由からか、ミッキーマウスやドラえもん、アンパンマン、キティちゃん、といった有名キャラクター(何故か手書きで描かれていることが多い)を装飾やモチーフに使った店も多い。何故、著作権法に引っかからないのだろう?
それ以上に疑問に思うのは、こんなテキヤで売られる食べ物(着色料たっぷりのカラフルで美しい食べ物だと尚ひどい)を子供に買い与える、優しい親の姿を良く見かけることである。

2010/04/10

自然から頂く幸せ

春一番の山菜、蕗の薹もそろそろ終わりです。限られた期間しか食べられないからこそ、美味しいのです。最後は、トマトと合わせてパスタにして食べ収めなのです。
これからは、こごめ、たらの芽、こしあぶら、山うど、わらび、ぜんまい、、、と山の幸が続々と登場します。イメージするだけで涎が垂れそうになるのです。天気をみながら、収穫のタイミングを逃さぬよう要注意です。
基本的には柔らかな若芽は、何でも食べられるので、今年はいろいろと試食をしてみようと思うのです。ただ、毒草だけは注意しなくてはなりません。怪しい植物は、参考書を見て選りわけるのです。それにしてもこの季節は、菜食志向の私にとっては最高に幸せな季節なのです。

2010/04/06

交配によって進化(退化)する

種蒔きシーズンの到来です。作付計画を考えるのは楽しいものです。どんな野菜を植えるか、同じ野菜の中でもどの品種にするか、悩みどころなのです。
現在我々が食している野菜達は、品種改良が重ねられてた末に作られたものです。育てやすいように、味がいいように。そこで、種選びに悩む(楽しむ)のです。種というものは、そのルーツ(血統)が結構しっかりと管理させているので面白いのです。どのような原種を、何処で、いつ、誰が改良を加えてきたか。概して原種に近い程、素朴な味がするのです。その素朴な味を旨いと感じるか、不味いと感じるかは、好み次第。
まずは、昨年採取した種を何種か蒔いたのです。自生え大玉トマト、信越水茄子、紫御前茄子、万願寺唐辛子、日光唐辛子。順調に発芽してきたので、そろそろポットへ植え替えてやるのです。

2010/04/01

屋外で自然を満喫するエゴイスト達

天気も上々であったので、上野の山を散歩に訪れたのである。桜の花は八分咲きで桜並道は多くの人々で賑わっていたのです。
ところが、頭上の桜を眺めながらしばらく歩くと、異様な光景が目に入ってきたのである。なんと両脇の桜の下の広大なスペースに綱が張り巡らされ、ブルーシートが敷き詰められていたのです。せっかくの桜並木の美しい風景が台無しにされているのです。
どうやら場所取りの為のブルーシートらしいのですが、そこに人はいないのです。団体名の記された書き置きが貼られているだけなのです。この場所とりの為に歩道スペースは狭められ、通路は混雑し、皆が窮屈に歩いているのです。もちろん腰を下ろして休憩する場所なんてありません。
皆が楽しみに訪れる公共の桜並木を、自分達の宴会をおこなう数時間の為だけに、永遠と占拠し続ける人々の利己主義には呆れます。そんな公共の迷惑も顧みない利己的な人々(その多くは大の企業人達)は、自分達の恥を晒していることに気付いていないのですから始末に負えません。ともすれば桜の下で宴会をすることで、自然派、エコ志向、なんて勘違いをしている大馬鹿者かもしれません。