2010/01/31

冷凍庫のある今では冬の保存食にも不自由しない

大地が雪で覆われている間は、畑仕事はお休みなのです。一昔前までは、出稼ぎに出たり、藁細工に精を出したりしていたようですが、今では特にやる事も無く、皆炬燵で昼寝等をしてのんびりと過ごしているのです。
雪の無い7か月間しっかり働き、雪のある5ヵ月間はたっぷりと休息をとる。質素ながら、なかなか羨ましい生活なのです。

2010/01/26

進化してゆく過程に興味があるのです

ヤマサの真空パックの醤油が気になったので買ってみて使っている。
これがなかなか良く出来ているのである。注ぎ口付近が肝。微細メッシュ状に圧着されたシール部を通り、薄いフィルム状の注ぎ口に達する。液体の張力を利用して空気の侵入が巧妙に防がれているのである。しかも液垂れを防ぐ嘴付き。
一ヶ月程使用したが、確かに醤油の味が劣化しない。この点はとにかく素晴らしい。ただし、容器が柔らかいので、量や勢いをコントロールすることが難しく、つい醤油を注ぎすぎたり、飛び散らしたりしてしまうのである。
まだまだ改善の余地はあるものの、革新的な液体容器である。決して、食卓を引き立てるような素敵な外観ではないので、主婦に支持されるかどうかは疑問だ。どうか売れ行きに係わらず、作り続けて欲しい。見かけに囚われず、一つの問題を見事に解決したデザインであるのだから。

2010/01/23

大人の男の遊び

ヨーロッパの公園で、爺さん達が大きな鉄球を転がして遊んでいる風景を見かけたことはないだろうか?その風景は、なんとも穏やかで、時を刻む速度が遅くなったような錯覚を与えてくれる。
近頃、この鉄球遊び(ペタンクというフランス生まれの球戯)が私の周囲で流行り始めている。ビー玉のようでありカーリングのようでもあるこの遊びは、暖かな昼下がりをのんびりと楽しむのに最高なのである。たらたらと歩いている、しょぼくれ具合が情緒深いのです。
日本では、ゲートボールなるスポーツが流行っているようですが、声を出したり、手を上げたり、小走りしたりと、あれは忙しくていけません。

2010/01/18

旨くて安全なパンを焼こう

日本の食パンってのは概して不味い。不味い食パンにマーガリン、ってのが日本の朝食風景として馴染んでしまった現状はとても残念である。
もちろん労を惜しまねば旨い食パンにもありつける。浅草にあるペリカンというパン屋の食パンは気に入っている。小洒落た舶来チェーン店でないところがいい。素朴な小麦の味に、腰の強い生地、が職人感たっぷりなのである。うどんや蕎麦に通じる美学を感じる。朝早起きして、初老の職人が気合十分で生地を捏ねている姿を頭に描いて食べると旨さも一際。(実際のところは未確認のまま)
ところで、日本で普及しているパン焼き窯の多くに、つい先頃までアスベストが使用されていたという話を聞いた。未だに多くのパン屋では、このアスベスト付きの窯が使われているのだそうだ。こわっ。

2010/01/15

子供のおやつではありません

カトレアという店のカレーパンを時々食べるのである。カレーパンの元祖と言われるだけあって、昭和初期の趣が残っていてなんとも味わい深い。
楕円形の形状、薄くてサクサクの皮、たっぷりと詰まったカレー。当時は、カツレツやクリームコロッケのような存在であったことが想像できる。クリームコロッケのクリームをカレーに置き換え、メンチカツ大の形状をキープする為に薄いパン生地で包んでから揚げた。きっとハイカラなメイン料理であったに違いない。
家に持ち帰ったカレーパンは、まずレンジで温めてから、オーブンで少し焼いて衣をサクサクに仕上げる。皿にのせて、ナイフとフォークで切り分け、ライス(バターライスなら尚良し)と共に食す。お好みでウスターソースと胡椒を少々。シャツを汚してはなりませんので、首元からはナプキンを下げて。飲み物はミルクティーを。

2010/01/13

中国の鰻より近所のどじょうを

今の子供達は、どじょうを捕まえて遊んだりするのだろうか?それ以前に、どじょうは、まだこの日本にちゃんと生息しているのだろうか?
幼いころ、泥まみれになって捕まえた、どじょうを用いて祖母が作ってくれた料理の衝撃が未だに忘れられない。鍋に水と豆腐、そして生きたどじょうを入れて火に掛ける。水が熱くなってくると、それまで呑気に泳いでいたどじょう達が慌てだし、熱さに耐えきれなくなって、まだ冷たい豆腐の中へ次々と潜り込むのです。全てのどじょうの姿が見えなくなったら、更にしばらく加熱し、味を調えます。四角い豆腐を取り出して包丁で切り分けると、綺麗にどじょうが埋め込まれたパテ(テリーヌ)のような料理が完成です。あの残忍な風景と、完成したどじょう豆腐の美しき姿、決して忘れられません。
先日、伊せき という店でどじょう料理を食した。泥臭いどじょうを強い味付けとたっぷりのネギで食べるどじょうの丸鍋。江戸情緒はたっぷりですが、決して旨い料理ではない。所詮、庶民が楽しむ為の鰻の代替品、もしくは身近な栄養源
だったのでしょう。
元来の庶民料理も、今では気取った店でしか食べることが出来なくなってしまったことは、とても残念なことです。皆さん、この夏は、どじょうを捕まえて家庭で調理しましょう!伝統料理を絶やしてはいけません。

2010/01/10

2466532の柱

靖国神社へ初詣(生まれて初めて訪れた)。
歴史認識はともかくとし、日本人として観るべき資料、知るべき情報が、生々しく保存されている。遊就館という展示施設を見学していたら、あっという間に日が暮れてしまっていた。
戦後生まれの私には想像もつかない程大きな意味を持つ聖域。
正月に見舞った半身不随の祖母は、歪んだ口で千人針の話をしてくれた。

2010/01/09

ブスカワイイ仏像

6日から7日にかけて、少林山の達磨市へ出かけた。七草の日に夜通し行われるの賑やかな門前市。あの張り子の達磨人形発祥の寺である。
愛嬌のある丸いフォルム。厳つい髭面。手足は無い。達磨人形は単なる験担ぎグッズを超越した、民芸品の趣がある。派手さを競う、熊手や羽子板等とは別次元にあるプロダクト。目の入っていない人形に片目を入れ、願を掛ける。願いの適った暁にもう一方の目を入れる。
自分の手で開眼させるというプロセスが興味深い。また、飢饉の際に、農家の副業として生活を支えたという、シンプルな木型を利用した簡単につくれる張り子人形である、という出生も良い。