2010/11/29

エアコンではお湯も湧かない

屋根に上って煙突の取り付け。6寸勾配(横10に対して縦6上る屋根=角度だと31°)の屋根は、結構急なのです。スキー場でいうと超上級コースレベル。これだけの角度があると、雪が自然に落下するのです。
もう足場は外してしまったので、屋根の端に長梯子をかけて恐る恐る登ります。梯子から屋根に乗り移り(ここが一番恐ろしい)、足首をしっかり曲げて(これはスノーボードと同じですね)斜面を慎重に登り、頂点に辿りついて一安心。落ち着いて周囲を見渡すとなんて爽快なんでしょう。子供の頃のようなわくわく感。
屋根を敷く時に一緒に敷きこんだフラッシング(円錐形の金物)から煙突を出します。防水カパーを繋ぎ目に被せて、耐火パテでシーリング。時々足を滑らせながらも、煙突にしがみついて、なんとか作業を完了。
日本では、暖炉や薪ストーブの文化は一般には根付いていません。古き良き日本の囲炉裏文化も(手軽な火鉢さえも)、既に途絶えかけています。電気が止まったら、多くの人がこごえちゃいますね。

2010/11/25

健康に良いフローリング

床を浮造りの杉板で仕上げてみました。ブラシのような物で擦って、硬い木目を浮き立たせた凹凸のある板材です。木の質感が強調されて、なかなか味わい深い素材です。傷や汚れも目立ちにくい。さらには、足裏を程よく刺激するので、健康にも良いらしい。ただし、伝統的な日本家屋で使われてきた材なので、今日の西洋式の生活には不向きな点もあるのです。家具がガタついてしまったり、掃除機をかけづらかったり。
室内では靴を脱ぐ日本で使われる一般的なフローリング材は、表面がコーティングされピカピカに仕上がっていますので、ちょっとしたキズでも気になります。一方、この浮造りならキズも味のうち、使うほどに味わいが増すでしょう。
さて、メリットorデメリット、どちらを採る?勇気を出して冒険(伝統を採用することが冒険か?)をしよう!ガタつく家具の脚にはビアマットでも敷けばいいじゃないですか。掃除機は使わずに、箒で掃いてから雑巾をかければいいじゃないですか。表面に薄っぺらな化粧を施したような仕上げより、素顔で勝負できる仕上げの方が好きなのです。

2010/11/20

最新技術はなぜ、300年前の名工を越えられないのだろう?

内田光子のソロコンサートに行ったつもりが、ヴィヴィアン・ハーグナーというヴァイオリニストとのデュオコンサートだったのです。
プログラムには4曲、モーツアルトK304、バルトークSz117、バッハBWV1001、ブラームスOP78、と記されている。一曲目のモーツアルトは内田がリードしながらの2人演奏。時折大きく足を広げて力強く鍵盤を叩く姿は、形式に囚われることなく、独自の音楽解釈を続ける内田らしくてイカシテます。ところが、1曲目が終わると内田がステージから降りてしまったのです。あれ?と思っているとヴァイオリンソロがスタート。これが結構良いのでOK。しかし3曲目のヴァイオリンソロでやや飽きる。結局、内田は最初の一曲だけだったのかと思っていたら、最後の曲になって嬉しい再登場。このブラームスも良い。
このコンサートは、チャリティーコンサートだったので、感違いがありながらも、大らかな気持ちなれるのです。演奏者2人もノーギャラでの出演ですから、文句なんて言えません。偉い!黄色いTシャツを着て涙を安売りしている偽善芸能人とは大違い。
今回使われたヴァイオリンは、サセルノという名のついた1717年製のストラディヴァリウス。300年前の楽器(プロダクト)が、未だに第一線の現場で使われているというのは、ものすごく稀有な例なのです。コレクションとして珍重されているプロダクトは多くありますが、現代においても最高の道具として活躍しているのですから驚きです。
現代技術は何故300年も前の名工アントニオ・ストラディヴァディを超えられないのだろう、道具は遙かに進歩しているはずなのに?人の手が道具の進歩以上に退化してしまったのか?木の状態が古ければ古い程良いということか?それとも、ブランド力に耳が騙されてしまうのか?

2010/11/13

優しい岩魚

源泉に枡を据え付け、砂利、小石、大石の順に入れ、ストレーナーを固定する。ストレーナーにパイプを繋ぎ込み、小川に沿って這わせる(100メートルのパイプを2本ジョイントし、200メートル下方まで。これが重いのです。)。ブロック基礎の上に貯水タンクを据え付け、パイプを繋ぎ込む。と、清水が勢い良く注ぎ込まれ、600リットルタンクがあっという間にパンパンに膨れ上がる。慌てて蓋を外すと、間欠泉のような水柱がそびえ立ち、びしょびしょ。しかしながら、石油を掘り当てたような喜びなのです。
次は、貯水タンクから建物内までの引き込み作業。水が凍らないよう、凍結深度(水の凍らない地中の深さ)50センチ以上の溝を掘る。大きな石がゴロゴロと埋まっているので、鍬では歯が立たない。ツルハシを用意して石をも砕いてゆく。気分は炭鉱夫、もしくは西側への亡命者(先日観た映画「トンネル」をイメージしつつ)。50メートルの溝を掘り終えたらパイプを埋設する。建物の手前で分岐させて屋外水栓を設置し、もう一方は給湯機へ。最後にこのパイプと貯水タンクとを繋ごうとしたら接合部から水漏れがある。力尽くでねじ込んだら破損してしまたのです。がっかり。
力も尽きてしょげていると、すぐ横の小川でピチャピチャと音がする。なんだろう、川辺の小枝が揺れているのかな?と思って目をやると、水量の減った浅瀬で大きな岩魚が跳ねている。手づかみ。
今夜のおかずにしようかなと思ったのですが、思い直して庭にある自然池に放ってやることにしたのです。しょげている姿を見て慰めに来てくれたような気がしたので。

2010/11/07

蛇口を捻るだけでは何も出てこない

生きる為の水、寛ぎの湯、を手に入れる為に、まずは給湯器の据え付け作業。
水源から引き込む水を給湯器に入れ、沸かしたお湯を室内へ供給するのです。つまり、繋ぐ水道管は2本。
湯を沸かす為のエネルギー源は、200Vと100V。繋ぐ電線は2本。そして、リモコン用の線が1本。凍結防止ヒーターも忘れずに。
あとは、基礎にアンカーでしっかりと固定するだけ。
給湯器の設置は終わりましたが、まだお湯は手に入りません。それにはまず水を確保しなくてはならないのです。約250M山手にある水源から清らかな湧水を引き込む予定なので、もう一苦労です。
松下幸之助は水道哲学と称して、安易に得られる利便性を追求したが、これが何も出来ない日本人、DIYの苦手な日本人、簡単に物を捨てる日本人、を育てたのではないでしょうか?戦後の日本経済を支えてきた使い捨て家電文化の弊害。
この世には、何でも出てくる魔法の蛇口など存在しないのです。便利な物やサーヴィスの背景には、様々な労力と資源が投入されているのです。